退屈ブレイキング

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私の一番好きなノンフィクション作家、沢木耕太郎のおすすめ作品集

あなたは、沢木耕太郎という作家をご存じだろうか?
氏は、数々の受賞歴を持つノンフィクションの大家であり、
不朽の名作旅行記『深夜特急』や、
ヒマラヤの絶壁に挑む夫婦を描いた『』などで
その名を広く知られている作家です。

沢木氏の作品の最大の魅力は、
作家自身の体験や綿密な取材活動に裏打ちされた、
徹底的なリアリアティにあります。

特にその取材力は驚くべきもので、
山口二矢の事件を題材とした『テロルの決算』では
被害者、加害者両名の生い立ちや
家庭環境に至るまでを克明に調べ上げ、
作品に強いリアリティを生み出すことに成功していますし、
世界有数のクライマーである
山野井夫妻が主役の『』では、
実際の海外登山に同行して取材をするほどの徹底ぶりです。

そして、事実を小説化するノンフィクション作家として
現実を冷静に写し取るドライな作風を持ちながら、
その根底には、沢木氏の人間に対する深い関心と
暖かい眼差しが感じられる
点が非常に魅力的です。

今回は、私が『深夜特急』で衝撃を受け、
以来大ファンとして読み続けている氏の作品から
おすすめの5作を選んで
感動したポイントの解説付きでご紹介します。

深夜特急(新潮文庫 全六巻)

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読了の目安: 約3日(一冊あたり)


インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く――。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは「大小(タイスウ)」というサイコロ賭博に魅せられ、あわや……。一年以上にわたるユーラシア放浪が、いま始まった。いざ、遠路2万キロ彼方のロンドンへ!

概要

26歳の『私』が、デリーからロンドンまで、
乗り合いバスで旅をする壮大な旅行小説です。

私がこの本に出合ったのは高校時代。
当時は訳あって職員室登校をしていた時期があり、
職員室横の談話室の本棚に置いてあった
深夜特急』の第一巻を、
暇つぶしがてら手に取ったのが始まりでした。

最初は何気なくページを捲っていたものの。
読み進めるうちその臨場感ある内容に引き込まれ、
時間も忘れて一気に読破したことを覚えています。

なぜ深夜特急は愛され続けるのか?

深夜特急の旅は、沢木氏が26歳の時に行った
世界旅行の経験が下敷きになっています。
某有名漫画家の先生もおっしゃっていましたが、
『作者は自分の体験を描くからこそ面白くなる』
という創作における鉄則があります。

それでいて、ただ事実を淡々と記すだけでなく、
旅先で出会う様々な出来事に対して、
沢木氏独自の感性による描写が加わることで、
物語を読者に強く印象的づけることに成功しているのです。

例として、特に私が強い印象を受けた
マカオのカジノでのサイコロ博奕『大小』の話と
インドで出会った幼い少女の話をご紹介します。

サイコロ博奕であわや無一文

デリーへ入るまでの道中にて、
『私』はかつてはポルトガル居留地として、
現在ではカジノで有名なマカオに立ち寄ります。

最初は軽い遊び程度にと入ったカジノで、
沢木氏は中でも現地の人の人気を集めていた
『大小』という博奕に出会います。

これは、サイコロの出目を当てる遊びで、
出目の合計値が真ん中の9以下なら『小』
それより上なら『大』と呼ばれることから
『大小』という名がついています。

また、かけ方は大か小かの一点に限らず、
ピンポイントに数字一つを狙うかけ方や
ゾロ目のみに賭けるかけ方もアリです。
(確率の低い出目ほど配当も高い)

と、至ってシンプルなゲームですが、
もちろん客もカジノ側も現金を賭けているため、
あの手この手で相手を出し抜こうとします。
そしてこの『カイジ』も顔負けの熱い心理戦が
深夜特急マカオ編の醍醐味なのです。

例えば、『大小』ではいままで出た目の結果が
ボードに記録されて掲示されます。
『大小小大小大大大小小…』といった具合です。

あくまでも大小は1/2の確率ですが、
時として『大大小小小小小小小小…』といった風に、
結果に極端な偏りが生まれる事があります。

こうなってくると色々考えてしまうのが人間の性で、
『これだけ小が続いたなら次こそは大だろう』
『いやいや次も小が来るに違いない』
などと、自然と場が盛り上がっていき、
卓の上を動く現金の額も膨れ上がて行きます。

こうして場のボルテージが高まったところで
ディーラーがサイコロをトスします。
そして出た目は『3、3、3』のゾロ目。
合計値は9で、『小』に張った人の勝ち…ではなく、
ゾロ目の場合は『大』も『小』も負け扱いになり、
ずばりゾロ目にかけた人だけが配当を得ます。

つまり、カジノ側は出目の操作で場を盛り上げ、
卓に大金が吐き出されたタイミングを狙って
ゾロ目を出すことにより、
その大部分を手中へ収めてしまえるわけです。

これを聞くと、カジノ側有利に思えますが、
客側としてはこの仕組みを逆手に取って、
場が盛り上がった時を狙って
あえてゾロ目に張る手もあります。
(実際に『私』はその戦略を実行します)

このような駆け引きの面白さにのめりこみ
『私』は貴重な旅費をカジノにつぎ込んでいきます。

結果、出発地であるデリーにつくまえに
資金が底を尽きかけるという危機的な状況に…
しかし、往生際悪く大小に挑み続けるうち、
ついに『必勝法』がひらめき…!?

といったところでご紹介を終わります。
続きが気になる方は、
ぜひ深夜特急第一巻を手に取ってみてください。
ギャンブル好きでなくても
手に汗握る事間違いなしですよ!

インドで出会った少女の話

もう一つ衝撃的な話として
インドのカルカッタで出会った少女がいます。

旅の始発点であるインドに辿り着いた『私』は
インドの人力車『リキシャ』に乗ったり、
闇商人とのスリリングな駆け引きを体験します。

そんなある日、物乞いと思われる
一人の少女に声を掛けられます。


ある時は、七、八歳の少女についてこられたことがある。
つい弱気になり、小銭を与えようかな、と立ち止まった

すると、少女が小さな声でひとこと言う。

「十ルピー」

物乞いに金額を指定されたのは初めてだった。
しかも十ルピーと言えば大金だ。

首を振って歩き出すと、慌てて私の目の前に廻り込んで、
言い直した。

「六ルピー」

私がまた首を振ると、やがてそれは五ルピーになり、
四ルピーになり、三ルピーになった。

その時になって、やっと意味がわかった。
少女はその金で自分の体を
買ってくれないかと言っていたのだ

まだ七、八歳にしかならない少女が、
僅か三ルピーの金で体を売ろうとしている。
しかし、彼女がそのような申し出をするからには、
どこかに必ず買う男がいるのだろう。

その顔を見つめているうちに、
名づけようもない感情が喉元まで溢れてきた。

多分、この少女は、香港のアバディーンで会った
陳美華と大して違わない年齢だろう。

あの時の陳美華は、これから女を買いに行くのか、
と私に訊ねてきた。

しかし、この少女は自分を買ってくれ、
と頼んでいるのだ。

年端もいかない少女が、生きるために
自分を売らなければならないという現実。


これだけでも豊かさに慣れ切っていた
私にとっては衝撃でしたが、
続く『私』の行動に、更に心を動かされます。


私は少女に三ルピーを手渡し、
グッドバイ、と言ってそこを離れた。

だが、少女は私のあとについてこようとする。
いいのだ、これをあげたのだから、
といくら手まねで説明をしても理解できないらしい。

仕方なく、走るようにしてそこから遠ざかった。

インドには何千万、何億という貧しい人がいて、
ここで『私』が少女に施しをしても、
一時的な解決にしかなりません。

ですが、この行動は
『名づけようもない感情』から行われたことであり、
私には、理屈ではなく人間として深く共感できました。

最後に、沢木氏は以下の文章で
このエピソードを締めくくります。


香港には、光があり、影がある、と思っていた。
光の世界がまばゆく輝けば輝くほど、
その傍らにできる影も色濃く落ちる、と思っていた。

しかし、香港で影と見えていたものも、
カルカッタで数日過ごしたあとでは
眩しいくらいに光輝いて見えた。

沢木氏の入門書としてもおすすめ

ここまでご紹介したように、
旅の醍醐味と新しい視点を与えてくれる本書ですが、
実は読みやすさという点でも優れた書籍です。

沢木氏の文章はアクが少なく、
ノンフィクションに適したドライな文体であり、
スラスラ読み進めることができます。

文庫版は一冊200Pほどと気軽に読めますので
沢木氏の著書に触れたことがない方は
まずはこの深夜特急
の第一巻をおすすめします。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)


テロルの決算(文春文庫)

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読了の目安: 約2週間

あのとき、政治は鋭く凄味をおびていた。ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストの激しい体当たりを受ける。テロリストの手には、短刀が握られていた。社会党委員長・浅沼稲次郎と右翼の少年・山口二矢――1960年、政治の季節に交錯した2人のその一瞬、“浅沼委員長刺殺事件”を研ぎ澄まされた筆致で描き、多くの人々の心を震わせたノンフィクションの金字塔。第10回(1979年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

概要

1960年に当時17歳の山口二矢が起こした、
社会党の浅沼委員長刺殺事件をテーマとした作品。

この事件は、刺殺の瞬間をとらえた写真が
「舞台上での暗殺」という題で、日本人初の
ピュリツァー賞を受賞したことでも有名ですね。

事実を重視した冷静な作風

この作品の特徴は、少年による殺人という
ショッキングなテーマを扱いながら、
主観や感情的な表現を極力廃し、
事件の事実を淡々と描いている点です。

事件を起こした山口二矢に対しても
異常で凶悪な殺人者として描くわけでもなく、
かといってイデオロギーに殉じた
悲劇の英雄として描くわけでもなく、
あくまでもその時代を生きた一人の少年として
等身大の姿を描いていた点が印象的でした。

被害者の浅沼委員長についても、
その生い立ちからや道のりを丹念に調べあげ、
読者に、あくまでもありのままの浅沼氏を
知ってもらおうとする姿勢が見られます。

読み物としての面白さは確保しつつ、
事実を軸として話が進むため、
登場人物の善悪や、事件の原因について、
読者自身に考えさせる姿勢を貫いています。

山口二矢について

この本の素晴らしいところは、
徹底的な事実の提示によって、
個々読み手がこの事件の原因について
深く考える機会を与えてくれる点にあると思います。

なぜ、人並み以上の学力を持ち、
家庭環境にも大きな問題の無かった
僅か17歳の少年が「テロル」に至ったのか?
そして、なぜ事件後の監房内で
その若い命を絶たねばならなかったのか?
私も読後、考えずにはいられませんでした。

いちおう、私なりに出した結論としては、
まず二矢には生来の思い込みの強い気性があり、
そこに父と兄からのプレッシャーや、
過激な右翼団体との接触経験が重なって、
ダメ押しに事件当日の警備の甘さなど、
多くの不幸な偶然が重なって生まれた
最悪の結果だったのではないかと考えました。

もちろんこれは私の一見解であり、
この事件の原因については
いくつもの解釈がありうると思います。

本書についてご興味を持たれた方は
ぜひ作品を手に取ってみて、
あなたなりの答えを見つけて頂きたいです。

テロルの決算 (文春文庫)

テロルの決算 (文春文庫)


敗れざるものたち(文春文庫)

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読了の目安: 約1週間


人生でただ一度だけの青春の時を勝負の世界に賭けて燃え尽きていった者たちの姿を、若きノンフィクションライターが哀惜こめて描く情熱的スポーツロマン。無人のリングやグラウンドに、ボクサーが、ランナーが、バッターが、サラブレッドが、騎手が佇む。彼らの曳く長い影が、あなたにははたして見えるだろうか。

スポーツ界の光と影

栄光と凋落の差が激しいスポーツの出会で、
あえて敗者に目を向けた作品。1979年発刊。

扱われる題材は、1980年前後のスポーツ界であり、
現代人にとってややなじみの薄い感はありますが、
そうした時代背景に疎くても、
読者の心を捉えて離さない底力のある作品です。

敗けることの意味

まず、この本で描かれるのは、
華々しい勝者、チャンピオンの姿ではなく
ただ一瞬の栄光に人生の全てをささげ、
そして叶わず去っていった者たちの姿です。

和製モハメドアリと呼ばれた
ボクシング界のホープ、カシアス内藤
五輪でメダルを獲得した長距離ランナーでありながら、
最後は自ら命を絶ったランナー円谷幸吉
かつて巨人軍で背番号3を背負って活躍し、
全盛期を過ぎてなお野球に執着し続ける『E』など
スポーツ界の光と影を生きた人々の姿が、
沢木氏得意の取材を通して浮かびあがります。

夢破れて新しい人生を得た人がいれば、
夢を捨てきれずにしがみつき続ける人もいる。
あるいは、夢に絶望して死を選ぶ人もいた。
彼らが何を思い、何を信じたのか…

決して明るい内容の本ではありませんが、
この本には、沢木氏から『挑戦者』たちへの
あたたかい眼差しが感じられます。
人間とは何か、考えさせられる一冊です。

最後の話は異色

この本の最後には、今でも有名なプロボクサー、
輪島功一氏の話が載っています。

ここで詳細は語りませんが、
この話の結末は、本書では異色だったと言えます。
そして、この異色の話が最後に書かれたことこそ、
沢木氏から読者への隠れたメッセージ
だったのではないかと私は思うのです。

最後に、巻末の松本健一氏の解説から
象徴的な一文を引用してご紹介を終わります。


スポーツとは、もしかしたら肉体にとっての麻薬なのかもしれない。
肉体がそれをおぼえてしまうと、忘れるわけにはいかない。
そしてひとは、ついには滅亡に至るまで
肉体をすりへらすことになるのだ。
しかし、滅亡に至ったところで、
その当人はむしろ恍惚の表情を浮かべているのではあるまいか。

だがそれは、スポーツが一種の殉教である限り、
当然の表情なのかもしれない。

スポーツの目的とは、かくして、勝つことではなくなる。
その肉体を滅亡に至るまですりへらすこと、
いわゆる燃焼が目的となるのだ。

滅亡の美学、または敗北の美学が、ここに完成する。

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)


凍 (新潮文庫)

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読了の目安: 約1週間


最強のクライマーとの呼び声も高い山野井泰史。世界的名声を得ながら、ストイックなほど厳しい登山を続けている彼が選んだのは、ヒマラヤの難峰ギャチュンカンだった。だが彼は、妻とともにその美しい氷壁に挑み始めたとき、二人を待ち受ける壮絶な闘いの結末を知るはずもなかった――。絶望的状況下、究極の選択。鮮かに浮かび上がる奇跡の登山行と人間の絆、ノンフィクションの極北。

日本を代表するクライマー、山野井泰史氏と、
妻であり同じくクライマーである妙子氏が
ヒマラヤのギャチュンカンに挑む姿を描いた作品。
第28回(2006年) 講談社ノンフィクション賞受賞

圧倒的な自然と人ととの"闘"い

山野井夫妻が挑むギャチュンカン北東壁は、
ネパールと中国の国境に位置し、標高は7952m。
標高こそ8,000mには届かないものの、
壁には氷が張りつき、雪崩の危険もある山です。

夫妻は、このギャチュンカンの北東壁を、
ピッケルとロープを使いながら
身一つで張り付くようにして登るのです。

その環境はあまりに過酷であり、
酸素濃度は長い期間をかけて
高度順化を行わねば耐えられないほど低く、
気温の低さは、ブーツをはいた足の指を凍傷にし、
最悪の場合壊死して切断せざるをえなくなるほどです。

そんな人間の生存を拒むような環境で、
夫妻は途中絶壁のただなかに寝床を確保して
数日ががかりで踏破に挑むのです。

夫妻を突き動かすものとは

私は高校時代山岳部に所属していました。
ですから、普段決して見ることのできない
雲海やご来光といった自然の美しさ、偉大さや
綿密な計画をして山に登る楽しさは理解できます。

ですが、「凍」で描かれる登山はまるで別世界であり
命を落とす危険があまりに大きすぎます。

それならば、難所を登ったことによる
金銭や名誉のために命を賭けているのかというと、
山野井夫妻に限ってはそんなこともありません。


たとえ登頂を疑われたとしても、
それは別にかまわなかった。
スポンサーがいるわけでもなく、
レポートの発表をしなくてはならない
媒体があるわけでもない。
自分のために登っているだけなのだ。

山野井氏が危険を冒して山に登る理由。
それはただ自分が登りたいから。
その気持ちいいまでの正直さに、
私は強く心打たれました。


冷静に判断すれば登頂を諦めて降りるべきかもしれない。
ここで降りれば二割か三割の危険の登山で終わるだろうが、
頂上を目指せば五割の危険性が出てくる。
五割の危険性、それは生と死の確率が半々になるということだ。

しかし、山野井には降りるという選択肢はなかった。
山野井には登ったまま帰れなくなると知っていても
登ってしまうだろうという頂がある。

たとえばマカルーの西壁のような、
あるいはジャヌーの北壁のような困難な壁を
登った果ての頂上なら、
その一歩が死につながると分かっていても
登ってしまうかもしれない。

なぜなら、それが山野井にとっての
「絶対の頂」であるからだ。

「絶対の頂」なら突っ込むかもしれない。
いや、心の奥深いところには、
死を覚悟で「絶対の頂」に向かって
一歩を踏み出してみたいという思いすらある。

山野井夫妻の絆

また、本書のもう一つのテーマとして、
泰史氏と妙子氏の夫婦の絆があげられます。

夫婦の間に流れる絆は、
甘ったるくベタベタしたものではありません。
熟練の登山家としてのお互いの信頼が表れた、
深いつながりを感じるものでした。

例えば、妙子氏が滑落し生死が危うくなった場面でも、
泰史氏は全く動揺せず、『もし妙子が死んでしまったなら、
自分と妙子を結ぶロープを切り離さなくてはならない』
と、すぐに登山家として適切な判断をします。

これは、決して妙子氏を思っていないわけでなく、
もし妙子氏が生きているなら
すぐに最善を尽くすだろうという
信頼があってこその事だと思います。

また、妻妙子氏は実務面にも強く
厳しい家計を上手にやりくりし、
夫である泰史の好きなことをさせてあげる
良き妻としての顔も覗かせます


二人は、とりわけ妙子は、筋金入りの倹約家だった。
妙子は無駄な出費はしたくないという強い思いがある。

それによって、かならずしも多くない収入にもかかわらず、
登りたいと思う山にスポンサーなしで行くことができるのだ。


だが、その倹約は、
無意味な吝嗇、ケチというのとは違っていた。

たとえば、知人がどうしても必要としているカンパには、
何の見返りがなくとも応じたりする。

総評

限界に挑む人間の強さと、
一般的なイメージを超えた夫婦の絆を学べる
文句なしの傑作ノンフィクション。

登山が趣味の方はもちろん、
勇気がもらえる本をお探しの方には
うってつけの作品ですよ。

凍 (新潮文庫)

凍 (新潮文庫)


人の砂漠(新潮文庫)

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読了の目安: 約10日


一体のミイラと英語まじりの奇妙なノートを残して、ひとりの老女が餓死した―老女の隠された過去を追って、人の生き方を見つめた「おばあさんが死んだ」、元売春婦たちの養護施設に取材した「棄てられた女たちのユートピア」をはじめ、ルポルタージュ全8編。陽の当たらない場所で人知れず生きる人々や人生の敗残者たちを、ニュージャーナリズムの若き担い手が暖かく描き出す。

表舞台のスポットライトからは無縁の、
社会の「影」に生きる人々を取材したルポルタージュ集。

知られざる人々の知られざる物語

今回ご紹介する中でもややマイナーな本作。
収められた作品は

  • ミイラと暮らし続けた孤独な老女を追う「おばあさんが死んだ
  • 行き場のない女たちの保護施設を取材した「棄てられた女たちのユートピア
  • 与那国島の文化を伝える滞在記「視えない共和国
  • 北方領土付近に生きる漁師の話「ロシアを望む岬
  • 鉄くずの仕切り屋の仕事に密着した「屑の世界
  • 狂気をはらんだ相場師の世界を描く「鼠たちの祭り
  • 皇居へ侵入した徳丸修を主役とする「不敬列伝
  • 身分を偽り周囲の善意を利用した老女に迫る「鏡の調書
の8編です。

一見してばらばらの短編に共通しているのは
普通なら見向きもされないような人達の元へ
沢木氏が実際に赴いて話を聞き、
作品に生き生きと写し取っている点です。

ここで、中でも特に私の心に残っている
「おばあさんが死んだ」という一遍について
もう少し突っ込んでご紹介します。

おばあさんが死んだ

このお話の主役は、佐藤ちよ(七二)。
あらすじにあるように、このルポは、
ちよとともに発見されたミイラと謎のメモ、
そしてちよの死に至るまでの経緯を主軸としています

ここで少しネタバレになりますが、
このミイラの正体はちよの弟敏勝です。
なぜ敏勝はミイラとなったのか、
なぜちよは餓死するまで保護を断り続けたのか。
その謎が沢木氏の取材によって明かされます。

題材からして重く、
決して明るい気持ちになれるお話ではありませんが、
最後にはちよと敏勝の姉弟愛を匂わせる描写もあり、
一片の救いが感じられるラストになっています。

沢木氏は何故この本を書いたのか

ご覧いただいたように、
この本の内容は基本的に暗いものです。
では、なぜこのような本を沢木氏は書いたのか。
それについて沢木氏は、
著者あとがきでこのように書いています。


人の砂漠を歩きながら、ぼくはそこで無数の地の漂流者たちに遭遇した。
あてもなくさまよう者がいた。追放の重荷に押し潰されそうな者もいた。
王国を求めながらその門すら見つけることができず、
砂漠にひとり死んでゆく者の姿を見かけたこともある。
遊牧民が広大な砂漠にほとんど無意味な墓標を作るように、
ぼくもまた彼らのために石を積みたいと思うことがあった。

普段なら、見向きもされないような人々に
あえて関心を持って寄り添い、理解しようとする。
私は、沢木氏のこういう姿勢を尊敬してやみません。

人の砂漠 (新潮文庫)

人の砂漠 (新潮文庫)


最後に

以上、沢木耕太郎氏のおすすめ作品特集でした。
次は、2013年に刊行された
『キャパの十字架』を読みたいと思っています

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