退屈ブレイキング

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友達は本当に必要か?蛭子能収著「ひとりぼっちを笑うな」に見るぼっちの為の幸福論


はじめに

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こんにちは、daimaです。
突然ですが、あなたは
友達が多い方でしょうか?

自慢じゃないですが、
私は人付き合いが苦手な方で、
友達はかなり少ない方です。

学生の頃、地元に2、3人
遊び友達がいたくらいで、
大人になった今は、
周囲に特に友達と呼べる人はいません。

特に、大人数の集まりが好きではなく、
飲み会やパーティーなどの
社交的な場面もだいたい苦手です。

今回はそんな私のように
自分は友達が少ない、
内向的であるという自覚をお持ちの方ほど
強く共感できるであろう
一冊のエッセイ、
「ひとりぼっちを笑うな 内向的人間の幸福論」
をご紹介させて頂きたいと思います。


著者はあの蛭子能収さん

表紙を見れば一目瞭然ですが、
本書の著者は、ぶらり途中下車の旅
などのバラエティ番組でおなじみ、
漫画家、タレントの蛭子能収さんです。

「あの蛭子さんが本を書く!?
一体どんな内容なんだ?
しかも、このタイトル、
まさに俺のような人間のための
本じゃないのか…?」

書店で平積みにされ
た本書を見かけた瞬間、私の脳内には
このような思いが湧き上がりました。

そして、ぱらぱらと内容をめくって
その予感が間違っていなかったことを確認して、
その勢いのまま本書を購入したのです。


この感覚、あなたは共感できますか?

本書には、蛭子さんが日頃感じている
世間の常識や慣習との微妙なズレや、
世の中のおかしさやが、素朴な文体で
衒いなく綴られています。

そのひとつひとつが、
なかなかどうして鋭い洞察に満ちていて、
同じく内向型人間を自覚する私としては、
「そうだよ、それそれ!」と
膝を打ちたくなるような
共感を覚えることも
少なくありませんでした。

以下の項では本文中から、
特に私が関心した、共感した部分を抜粋し、
私の感想を添えてご紹介します。

果たしてあなたは、
どれくらい共感できるでしょうか…?

大勢で雑談するのが苦手


大皿料理が苦手と書いたのですが、
料理以前に、みんなで集まって
大人数の状態でべちゃべちゃ
しゃべっている時間も苦手かもしれない


僕が人前で話をしたとしても、
有意義なことを話すわけでもありません。

そうなると、そのムダな時間をすごすならば、
ひとりで街を散策していた方が
いいやって思えてくる。

結局、僕はどこまでも自由人で、
好んで一人になりたいと思う
タイプなんでしょうね。

まずはこれ。
大人数での雑談、食事が苦手。
非常に共感できます。

一対一だと流暢に話せるのに、
多人数になるととたんに
何を話せばいいか分からなくなる。

それで、だんだん退屈になって、
終いにはスマホを弄りながら
早く帰りたいなぁなんて考えている。

内向的人間であれば、
思わず、あるある!と頷いてしまう
シチュエーションではないでしょうか。

また、ぼっちと食事の話として、
ちょっと昔に「便所飯」なんて言葉が
取り沙汰されていましたよね。

これは、大学の食堂などで
一人でご飯を食べるのが恥ずかしいから、
トイレの個室でこっそり食べる…
というものなのですが、
そもそもなんで
一人でご飯をたべることが
そんなに恥ずかしいんでしょうか?

僕は蛭子さんと同じで
むしろ一人飯が好きです。
会社の昼食時も一人弁当か、
弁当がなければ
基本一人でぶらぶら歩いて、
手頃な定食屋で食事を済ませます。

食事の際だからこそ弾む会話も
もちろんありますが、
だからといって一人でご飯を食べることが
恥ずかしいことだという考えは
単なる自意識過剰、思い込みであり、
全くおかしいものだと私は思うのです。

目立ちたくない


僕の場合、子供のころから
”目立ちたい”という発想が
ほぼ皆無でした。


他人より一歩先に出たいとか、
誰かを押しのけて自分が
前に出たいとかいう欲望が、
そもそも希薄な人間なのでしょうね。

幼少期から、自分だけが
目立ってしまうような状況になることが、
とっても苦手です。

これも非常に共感できました。
私も人前で目立つことは大の苦手で、
自己紹介や発表会の場面では
動悸は激しくなるわ、
脇汗はとまらないわ、
頭の中がごちゃごちゃになるわで、
毎回大変な思いをしています(笑)

また、蛭子さんの子供時代の話として、
学校で目立つのがイヤだという理由で、
散髪をすればわざとそれをくしゃくしゃにし、
新品の靴を買えば、またそれを
わざと汚して履いていたそうですが、
その気持ちも痛いほどよくわかります。
基本的に放っておいて欲しいんですよね。

社会人になってしまうと、
自分の実力を表に出して、
周囲に認めてもらわねばならないので、
目立ちたくないなどと
言ってもいられないのが現実ですが、
それでも根っこの部分ではやはり、
目立たず静かに、一人で
自分の好きなことをやって
生きていきたいという思いを
捨てきれずに生きています。

一人遊びが好き、趣味に没頭する

蛭子さんは、子供の頃から
絵を描いたりする
一人遊びが好きで、
誰かに自由を脅かされること、
ルールで縛られることが
とにかく大嫌いだったそうです。

そういえば私も、子供の頃は
お絵かきや空想遊びなど
一人でできる遊びが好きで、
反対にみんなで歌を歌ったり、
野球やバレーといった
チームスポーツに参加することは
かなり苦手でした。

また、共同作業について
本書の話で面白かったのが、
蛭子さんは「合作」では
必ず手を抜くという話です。

これは、決して
周りに反発しているわけではなく、
どうしてもやる気が出ないから
そうなるのだそうです。

また、漫画制作の際も、
指示したりするのが気苦労だから
アシスタントは一切使わないのだとか。

私の領分は私の領分、
あなたの領分はあなたの領分
といった具合に、自分と他者の
線引きがはっきりしているのも
内向的人間の特徴の一つ。

仕事でやる分業などは別として、
自分の仕事は自分の手で
最後までやり通したいという
こだわりが強いのかもしれませんね。


内向的人間が幸福に生きるには?

さて、ここまで
本書がターゲットとする
内向的人間の性質について
見てきました。

続いては、そんな内向的人間が
どうすれば幸せに生きられるのか、
そのヒントになりうる
蛭子さんの考え方を見てみたいと思います。

趣味のグループを作る


ただ漠然と「群れ」になって、
一緒に行動するようなグループではなく、
なにかひとつの目的のために
そのときどきで集まるようなグループもあります。

それに関しては肯定派の僕がいます。

蛭子さんは、
目的もなく「つるむ」
集まりには否定的ですが、
目的のあるグループであれば
肯定したいと語っていて、
趣味のギャンブルでの
人付き合いをその例に挙げています。

競艇や競馬など、
お互い同士の勝ち負けが
発生しないギャンブルに足を運び、
他愛もない話をして
個人的な深入りはせず、
目的を果たしたらさっさと帰路につく。
蛭子さんはそんなあっさりした
人間関係が心地よいといいます。

確かに私も、
ゲームや自転車などの趣味の集まりや、
仕事をやり遂げるためのチームなど
目的のある集まりに
参加することは嫌いではありません。

そもそも内向的人間であっても、
人と何かをすること自体が
嫌いなわけではないのです。

内向的人間が幸福に生きるには、
「〜をする」という明確な目的のある
人間関係を築くことが
一番良いのかもしれませんね。


内向的人間における趣味の大切さ


ほとんど身ひとつの状態で、
長崎から東京にやってきて…

そこで初めて孤独を感じても
よさそうな状況ではあったのに、
結局あまり感じることがなかった。

いま考えると漫画とギャンブルが、
それを紛らわしてくれたのかも
しれないですね。


僕が孤独を感じてこなかったのは、
もしかしたら趣味のおかげ

改めて、趣味というものの
大事さを痛感しますよ。

漫画=仕事とギャンブルが
趣味であると公言する蛭子さん。
そして、その趣味こそが、
自分の救いになっていたと語ります。

かくいう私もブログの執筆や
絵を描くこと、プログラミングに
自転車などの趣味に没頭している間は
孤独感など一切感じることはありません。

特に男性は、老後の幸福度に
趣味の有無が大きく関係している
と言いますし、ぼっちであればなおさら
趣味の存在は大事なものだと言えます。

また、人付き合いの少ない人は、
その分趣味に時間を費やせるので、
一つの道で大成する可能性も高くなります。

例えば、彫刻家のミケランジェロ
気難しい内向的な性格だったそうですし、
サグラダ・ファミリアを設計した
ガウディも、内気で口下手な
性格だったと言われています。

www.taikutsu-breaking.com

もし、特に趣味がなくて
なにかいい趣味ないかなと
お探しの方がいれば、
よければ上記記事をご覧ください。
新しい世界へのステップが
見つかるかもしれませんよ。


限界に近づいたら迷わず逃げる


「逃げる」と言うと
聞こえは悪いかもしれない。

とはいえ、自分のなかで
限界がきているようだったら、
そのときは迷わず逃げていいと思う。

ときには逃げ出すことも必要ですよ。
にげてばっかりはダメだけど、
人生の中で何度かは、
別に逃げ出してもいいんじゃないかなあ。

僕は自分の経験からそう思っているんです。

蛭子さんが22際の時に
長崎から東京へ
上京した理由について
語った章での一文。

蛭子さんは、
夢を追うためではなく、
長崎で看板屋の仕事を続けるうちに、
年齢を重ねるにつれ、
どんどん「自由」がなくなる感覚が
怖くなって、半ば衝動的に
上京を決意したそうです。

そして後年、
そこで長崎の生活から
「逃げた」ことが
結果的によかったのだと
振り返っています。

内向的人間は、
自分のストレスを表現することが苦手で、
環境の変化を好まない場合も多く、
学校や職場に多少の不満があっても
ずるずると我慢してしまいがちです。

しかし、過労死や
いじめ自殺の例があるように、
無理に耐え続けていれば
必ず心に限界が訪れます。

耐えなければならない、
逃げることが恥だという常識。
その思い込みこそ、
内向的人間の最大の敵なのかも
しれないですね。


常に笑顔を絶やさない


笑顔っていうのは大概の場合、
人を安心させ警戒心を解くものです。

安心すれば、心もオープンになって、
言いにくいことだって
ポロッと口から出てくるものです。

そして、その意見を
取り入れるか否かが、
人としての成長に
大きく関わるものだと
思っているんです。

テレビで見かける蛭子さんは、
いつもへらへらにやにやしていますが、
あれは周囲の警戒を解くために、
ちゃんと意識してやっていることだそうです。

にっこり笑顔とまではいかなくても、
誰にでもとりあえず
愛想よくしておくということは、
確かに大切なことです。

この時、相手に個人的に
好意があるかどうかは全く関係なく、
見かけだけでも明るく
親しみやすく振る舞っておけば
少なくとも損はしません。

人間関係で損しやすい内向的人間こそ、
こういったちょっとした心がけで
取り戻せる部分は大きいです。

また、人間には
ライミング効果という
言葉や動作が心理状態に
影響を及ぼす心理効果があって、
笑顔を作る(=口角を上げる)ことで、
自然と気持ちが上向くメリットもあるそうですよ。

内向的「すぎる」ではいけない


内向的な人間が好きだと言っても、
やはり”限度”みたいなものは
あると思っています。

内向的でいる自分を恥じることもないし、
内向的だからといって、
世の中から弾かれるわけでもありません。

ただ、内向的すぎる人はよくないでしょうね。


蛭子さんは、内向的人間を肯定しつつも、
それが行き過ぎてはいけないと釘をさし、
その例として、引きこもりを挙げています。
(平成26年度の内閣府の調査では、
日本には70万人弱の
引きこもりが存在しているそうです。)

引きこもりまで行ってしまうと
社会生活に必ず支障をきたすので、
そうならないためにも、
内向的人間には、蛭子さんのいうように
趣味を持ち、それを起点として
外部との関わりを持つ、
そして何より家族を大事にして、
お互いの悩みや不安を共有する
ということが、普通の人以上に
必要となるでしょう。


そもそも、いまの時代は生きづらくない


アベノミクス効果の恩恵に
あずかるのはごく一部の企業だけで、
財布の中身も潤わない…

少し社会からはみ出せば
叩かれる格好の餌食になる。

生き辛い、というのは
そういうところから
くるのかもしれないけれど、

本当に生き辛い時代なのかな?
とも思う。


僕自身の肌感覚からすると、
むしろ昔よりもいまのほうが
生きやすいように感じていますよ。

たとえば、テレビタレントとしての
蛭子能収で見てみましょう。

普段と同じように、
自分の好きに振る舞ったり、
頭に浮かんだ本音を
そのまま発言したりしても、
昔ほど人に叱られなくなったような気がしています。

見渡してみれば、
現代には様々な歪みがあります。
格差は年々広がり、2017年には
世界の富豪トップ8名の資産が
世界人口の下位半分と同じである
という衝撃的なデータが報じられています。

日本社会に限定しても、
介護負担は年々増大し、
もらえるあてのない年金を
払い続けなければならず、
私を含め、多くの豊かでない人たちは、
老後の暮らしに戦々恐々とする毎日です。

ですが、多様なライフスタイルが
受容されるようになったという意味では
現代はそれほど生き辛くない
という蛭子さんの主張にも
確かに頷ける部分があります。

例えば、本書が扱う内向的人間、
同性愛者や障害者、オタクといった
マイノリティに対して、
昔のようにあからさまに
差別的な態度を
示す人は少なくなりました。
(オタクなどは、今ではほとんど完全に
市民権を得ていますよね)

また現代では、
ネットで誰でも比較的簡単に
情報を発信することができ、
受ける情報についても、
テレビか新聞、雑誌などが
中心であった時代と比べると
自分の判断で取捨選択する余地が
大きく広がっています。

もしネットのない時代であれば、
この記事のような泡沫意見が
今お読みいただいているあなたを含め、
不特定多数の誰かに届くということは
想定もできなかったはずです。

そういう意味では、
内向的人間にとって
これからの時代は
けっこう生きやすい、
悪くない時代になってくれるのかも
しれません。

友達は必要ではない。しかし人は他者なくして生きていけない


前の妻を亡くしてから
痛いほどわかりましたけど、
なにも遠慮せずに話し合える相手がいるのは
本当に素晴らしいことです。


これは、矛盾した話に思えるかもしれないけれど、
愛する人がそばにいるからこそ、
僕は安心してひとりぼっちでいられるんです。

ここまで、蛭子さんの言葉をもとに、
内向的なぼっちの幸福な生き方
について考えてきました。

ですが、蛭子さんは同時に、
愛する人のいることの大切さ、
家族を持つことの素晴らしさを
なんども念入りに説いています。

家にも、職場にも、学校にも
心を打ち明けられる相手がいない。
そんな真の孤独というのは
精神病への近道切符であり、
死に至る病です。

だから、内向的人間ほど
家族の存在は貴重であり、
普通の人よりなおさら大切しよう、
ということになる。

蛭子さんの主張はシンプルですが、
説得力があり共感できます。


『ひとりぼっちを笑うな』
この本にはそんなタイトルをつけてみました。

でも、僕が一番言いたいのは、
ひとりぼっちを笑わないことでは
ないかもしれない。

もちろん、いつも
ポツンとひとりでいる、
僕も含めた内向的な人たちを笑うことは、
とても愚かなこと。

ただ、それ以上に大事なことがあると思うんです。

上記の文は、
本書を締めくくる最後の一文の一部です。

この文の後に、さらに続きがあって、
それが本当に素晴らしく、
心に沁みるものでした。

その内容をここに記すのは野暮なので、
気になる方はぜひ本書をてにとってみてください。
この本を読み終えた時、
蛭子能収という人物に対するイメージが
ガラリと変わっているはずですよ。

おわりに

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
あなたは蛭子さんの考え方に
共感できましたでしょうか?

本書は、特段深い専門知識や
斬新なアイディアが
示されたものではありませんが、
コミュ力至上主義の現代に
生き辛さを感じている内向型人間にとって、
勇気を与えてくれる一冊だと思います。

それでは、またの機会に!