退屈ブレイキング

ジョジョ、SCP、映画、ゲームなどの話題が中心の趣味ブログ。おおむね週一更新です。

怖いけれど読んでしまう…世界の秀逸な都市伝説/クリーピーパスタ9選

はじめに

本日は私が今までに聞いた
都市伝説、クリーピーパスタの中から
これはと唸った秀逸な9編をご紹介します。

それでは、どうぞ。


1.とある森林レスキュー隊員の体験談

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記念すべき本稿一発目のお話は
2015年にアメリカの大手投稿サイト
redditのno sleep(眠れなくなるくらい怖い話)
フォーラムに投稿された
とある森林レスキュー隊員の恐怖の体験談です。

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私がこれまでに体験した中で
最も恐ろしかった出来事の一つが
森の中でハイキンググループからはぐれた
ある一人の女性を捜索したときの話です。

私たちは夜を通して捜索を続け、
腐った大木の下で彼女を保護しましたが
その帰り道の道中に
彼女が異常な言動を取り始めました。

彼女は不意に何度も背後を振り向き、
さらに私たちに「私たちの後ろからつけてくる、
あの黒い目をした不気味な大男は誰なの?」
「後ろのやつにあのしかめ面をやめさせて!」
といった不可解な質問や懇願を繰り返したのです。

私たちははじめこれが
彼女が遭難したことによる
一時的なショック症状だと考え
真剣に取り合おうとしませんでしたが、
ある時点で彼女は急に立ち止まり、
森に向かって振り向くと
「私はやつと
一緒に行くつもりなんてなかった!」
と大声で叫び出しました。

そのとき、私たちの耳に
奇妙な音が聞こえ始めたのです。

それはほとんど咳のようでしたが
どこかリズミカルで深みがあり、
昆虫のさえずりのようにも聞こえました。

とにかく形容しがたい、
今まで一度も聞いたことの
無いような音だったのです。

そして直後に彼女は私の肩を掴み、
「あいつはあなたに
早く行けと言っている、なぜなら
あいつはあなたの首の傷が嫌いだから」
と話しました。

確かにその時、私の首の付け根には
ほんの小さな傷がありました。
しかしそれは私の襟の下に隠れており、
彼女がそれを知る術はなかったはずなのです。

そして彼女がそれを話した直後
私の耳の中に奇妙な咳払いが聞こえてきて
私は心臓が跳ね上がるような恐怖を感じました。

私はこれ以上彼女が
私を混乱させないようにと
半ば強引に彼女を歩き続けさせ、
なんとかその場は無事に
帰りつくことができたのです。

あの夜、私が無事にあのエリアを抜けた時、
私は心の底から幸福であったと言わざるを得ません。

www.reddit.com

2.ルナパークの悪魔

1979年6月9日、
シドニーのルナパークという遊園地の
アトラクションで火災が発生し、
当時6歳のダミアンという少年が
その家族や友人7人と共に犠牲となりました。

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そしてこちらは死の数時間前の
ダミアン君がルナパーク内で撮影された写真です。

この写真を見ると
ダミアン君の右に悪魔のような
仮装をした男がいて、
彼の肩に手を置いていることに
にお気づき頂けるかと思います。

この男は
広場でフェリーを待っていた
ダミアン君に不意に近づいてきて
肩に手を置き、
それをダミアン君が怖がったのを
誰かが面白がって
写真に収めたのだそうです。

そしてこの謎の
仮装男の正体について、
その出現タイミングと
特徴的な姿から
ネット上では聖書にも登場する
悪魔モロクだったのではないかと
噂する声が上がっているのです。

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モロク(モレク)は
かつて古代中東で崇拝された神ですが
キリスト教の文献では概ね
牛の頭部を持つ悪魔として描かれており、
まずこの時点で写真の男と
外見上の特徴が一致します。

そしてかつてこ
のモロクを象った像が
ヨルダン人によって
生贄の祭壇として
使われていた歴史があり、
かつその儀式の際には
人間の子供を含む7種類の
動植物をすべて生きたまま
焼かれたと言うのです。

儀式の供物が七種類なら
ルナパークの火災で亡くなったのも7人。
これはまるで、古代の生贄の儀式が
形を変えて現代に蘇ったかのようです

また実はルナパークの火災で
ダミアン君の母親は急にアイスが
食べたくなり、自分一人が
時から生き残ることとなりましたが
これもまたモロクの持つ
「母親の涙と子供達の
血に塗れた魔王」という異名に
不気味なほど符号しています。

これらの奇妙な一致を
ただの偶然と見るか、
それとも悪魔の仕業と見るか。

果たしてあなたは
どう判断するでしょうか…?

3.リアルバイオハザード マイアミゾンビ事件

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2012年5月26日、
フロリダ州マイアミにある橋
マッカーサー・コーズウェイの
脇の歩道で老人が男に襲われている
という通報がありました。

通報を受け、現場に訪れた警官は
そこで非常にショッキングな光景を目にします。

全裸の若い男が
地面に倒れた老人におおいかぶさり
その顔面を所構わず
歯で食いちぎっていたのです。

まるでバイオハザードさながらのその様子に
一瞬怯んだ警官ですが、すぐに拳銃を抜くと
男に行為を止めるように警告します。

しかしその警告を聞かず
老人の顔を貪り続ける男に対し
警官はやむなく拳銃を発砲。
これを射殺しました。

そのあまりにショッキングな内容と
犯行現場の動画の拡散によって
一躍有名になったこのマイアミゾンビ事件。

その原因について警察筋は
はじめ脱法ドラッグバスソルト」による
副作用説を疑いましたが
この説は後に犯人の
検死結果から否定されており、
その究極的な原因は未だ明らかにされていません。

4.泣く女 ラ・リョローナ

f:id:ama46572222:20190821084302j:plain映画 『Curse of La Llorona』 より

メキシコを含むラテンアメリカ地域に
ラ・リョローナ(泣く女)と呼ばれる
ある女性の伝説があります。

かつてある田舎村に
マリアという若く
美しい娘がおりました。

生まれの貧しかった彼女はしかし
ある日村へ旅にやってきた
裕福な貴族の男に見初められ、
その男の家に嫁ぐことになります。

男の家族は貧しい出の
マリアとの結婚に反対したものの
男は家族の二人のために
新しい家を建ててまでマリアと結婚。
2人の子宝にも恵まれ
マリアは幸せな日々を送っていました。

しかしそれも束の間、
もともと旅好きで家に居着かなかった男は
マリアが年をとるにつれ
ますます家を空ける日が多くなり、
ある日とうとう若い別の娘を連れて
村にやってきて、マリアと息子達に
一方的に別れを告げてしまったのです。

この仕打ちに絶望したマリアは
子供達を伴って川に行き
あろうことか子供達を
川に沈めて殺してしまいます。

その後、正気を取り戻した彼女は
自分がしたことに気づき
子供達を探すも彼らの体は
既に川に流されており時既に遅し。

翌日、川の岸辺では
自殺したマリアの死体が発見されました。

そして彼女の死後、その現場の近くでは
夜遅くにベールのついた白いガウンを着た
女の姿が目撃されるようになります。

女は「ああ!私の子供たち!」と嘆き、
彼女の声を聞いた者には
様々な不幸が訪れると言われています。

殺人と自殺という
二つの究極の罪を犯したマリアは
自分が殺した子供達を見つけるまで
天国への入国を許されることはなく、
永遠に地上を彷徨い続けることでしょう。

5.非人道的実験の末路 ロシアの睡眠実験

スターリンが権力の頂点にいた
1940年代後半のロシアで
ある実験が行われました。

その実験とは
「釈放を見返りに
強制収容所の囚人5人を
睡眠を阻害するガスで満たされた
部屋の中で30日間過ごさせ、
その様子を観察する」
というもの。

実験は5日目までは
何事もなく進行したものの、
5日目になると被験者達は
叫ぶ、唸るなど
ストレスの兆候を見せ始めます。

この時被験者中には
自分の排泄物でノートの切れ端を
部屋のマジックミラーに貼り付けて
観察を妨害する者もいて、
この状況に苦慮した研究者達は
やむなく観察を一旦中止し
マイクを通して被験者達と
話をする方針に切り替えました。

しかししばらくすると部屋は静かになり
被験者達は研究者達との
一切のコミュニケーションを拒否。

それから不気味な沈黙が続き、
実験が15日目を迎えたある日、
研究者たちがついに痺れを切らして
護衛の兵士と共に実験室に踏み込むと、
そこには俄かには信じがたい光景が広がっていました。

まず5人の被験者のうち一人が死んでいて
その死体の桃や胸の肉が
部屋中央の排水溝に詰められ、
血が流れていくのを堰き止めていました。

そして血の海と化した床の上では
激しい自傷行為を行い、
皮膚と筋肉の大部分を失った
他の四人の被験者が
唸り声をあげながら生きて蠢いていたのです。

そのうえ恐るべきことに、
これまで扉越しに被験者に
与えられていた食事には
一切手がつけられておらず、
被験者はこれまでの間自分で自分の
肉を食べて生き延びていたことが
推測されました。

この惨状を見た研究者たちは
ただちに実験の中止を決定。

被験者たちを治療するため
兵士たちを伴って
部屋の中へと踏み入ります。

しかしそこで研究者たちは
被験者たちの思わぬ抵抗に遭いました。

あるものは指で、あるものは歯を使い
研究者や兵士たちに襲いかかり、
兵士の何人かは彼らに殺されてしまいます。

しかし結局被験者たちは制圧され、
うち二人は逃げ出そうとしたところを射殺。
一人は拘束された後に麻酔薬を打たれ、
目を閉じたのと同時に心臓の動きも止まり
そのまま死亡が確認されました

そして最後に残った一人に対しては
指揮官が指名した3人の研究者が立ち会い
カウンセリングが実施されることになりました。

しかし指揮官たちが部屋に入ると
研究者の一人が拳銃を取り出し指揮官を射殺、
他の研究者たちが逃げ出し、
テーブル上に拘束された
被験者と一対一になると
被験者に向かって
「お前は何者なんだ!」と叫びました。

するとそれまで黙っていた
血まみれの被験者は
おぞましい笑いを浮かべて
こう言い放ったのです。

「もう忘れちまったのか?」
「俺たちはお前だ。」
「お前の中の狂気そのものだ。」
「俺たちはお前が毎晩
ベッドに潜って逃れようとしているそれだ。」

この言葉を聞いた研究者は
一瞬たじろいだものの、
息を整えると拳銃を被験者に向け、
引き金を引きました。

打たれた被験者は
薄れゆく意識の中で、
最後に小さな声でこう呟きました。

「だから…もうほとんど自由だ…」

---------

バージョンによって
いくらか差異はありますが
これがロシアの睡眠実験の
おおまかなあらすじです。

さすがにこれらは
作り話だとは思いますが
1940年代ロシアという絶妙な
シチュエーションといい
被験者たちのおぞましい描写といい、
有名な都市伝説の中でも
特に強烈恐ろしさを感じる一品でしたね。

creepypasta.fandom.com

6. 有能弁護士が高層ビルからダイブ!? ガリー・ホイの死

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1993年7月9日、
カナダのトロントで高名な
弁護士のガリー・ホイは
事務所の見学に訪れた学生のグループに
あるスタントを披露しました。

そのスタントとは
トロントドミニオンセンター24階の
窓ガラスに体当たりをして高層ビルの
窓ガラスの強度を実証するというもの。

ホイは今までに何度も
このスタントを成功させており、
この日も窓ガラスがホイの体当たりで
割れることはありませんでした。

ただし、窓ガラスが嵌っていた
フレームについては話が別です。

ホイが体当たりをかました瞬間、
フレームがひしゃげて窓ガラスが外れ、
ホイは無傷の窓ガラスと一緒に
24階の高さから真っ逆さまに墜落してしまったのです 。

50mを超える高さから落ちたホイは
当然ながら即死。

その後、彼のその嘘みたいな死に様は
1996年に世界で起きた
冗談みたいな死に様を称える
ダーウィン賞を受賞し
不名誉にも世界中に知れ渡ることとなりました。

ちなみに生前の彼は
弁護士としては相当優秀だったようで
彼の所属していた法律事務所
Holden Day Wilson LLPは
彼の死後右肩下がりで業績を落とし、
彼の死の3年後の1996年には
閉鎖を余儀なくされています。

7.口笛を吹く悪霊 エル・シルボン

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これは南米コロンビアやベネズエラ
19世紀半ば頃から語り継がれている
伝説的な人物に関する恐怖のお話です。

かつてベネズエラのロスリャノスに
エル・シルボンという少年が
彼と父、母、祖父の4人で暮らしていました。

一家は素朴な農家暮らしでしたが
両親から一人っ子として
過剰に甘やかされて育った
エル・シルボンはそのために
非常に傲慢な性格の持ち主と
なってしまいます。

ある日、エル・シルボンが
好物の鹿肉を食べたいと言いだし、
それを受けた父親が鹿狩りに出たものの
結局獲物を捕ることができず
手ぶらで帰ってきたことがありました。

するとそれを見た
エル・シルボンは激昂し、
なんと実の父親を狩猟用の
ナイフで刺し殺してしまったのです。

異変に気づいた母と祖父が
駆けつけるとそこには
血まみれで生き絶えた父親のと
その上に立つエル・シルボンの姿が。

これを見た母は泣き叫び、
祖父は怒り狂って孫を木に縛り上げ、
その背を血が出るまで鞭で打ち、
さらに傷口にレモンの果汁を
刷り込んで激痛を味わせ、
それから父親の遺骨を詰めた袋を
エル・シルボンに担がせて
平原に放り捨ててしまいます。

その後祖父は少年に呪いの言葉を吐くと
とどめに凶暴な犬を放って追跡させ、
これを噛み殺させてしまったのでした。

こうしてエル・シルボンは死にましたが
彼はその後痩せた長身で
農作業用の帽子をかぶった姿の悪霊となり、
平原を行き交う人々を
無差別に殺し始めます。

もし人がいない場所で
なぜか口笛が聞こえてきたら
それはエル・シルボンが近くにいる証拠。
ちなみに口笛の音が遠くなればなるほど
エル・シルボンは近くにいます。

そして悪霊エル・シルボンの
もう一つの大きな特徴が
彼のひきずっている大きな袋です。

その袋は彼が歩くたび
カチカチという何か硬いものが
ぶつかる様な音を出すとのこと。

父親殺しという
永遠の罪を背負ったエル・シルボンは
今も重たい袋を引きずりながら
南米の寂しい平原を次の犠牲者を求めて
彷徨い続けているのでしょうね…

8.お化け屋敷に本物の死体が…

1976年12月、
カリフォルニアのクイーンズパーク遊園地の
お化け屋敷の中でテレビドラマ
600万ドルの男』の撮影スタッフが
天井から吊るされていた
一体の人形の腕をうっかり折ってしまいました。

これに慌てたスタッフは
人形の腕をくっつけようと手に取りますが
その腕をよく見ると
中には何やら白いものが…

さらによく見ると
それは紛れもなく人間の骨であり、
人形と思われたものは実は
60年以上前に死んだ
エルマー・マッカーディ(Elmer McCurdy)
という男の本物の死体だったのです

しかしなぜ、
家族向けの遊園地に
本物の人間の死体などが
紛れ込んでしまったのでしょうか?

この奇妙な物語は
1911年、当時31歳の無法者
エルマー・マッカーディが
何者かに銃撃されて
死亡した事から始まります。

マッカーディは死後
なかなか死体の引き取り手が現れず、
ついにはこの厄介なお荷物に
腹を立てた葬儀屋の手によって
防腐処理を施された上で
一回5セントの見世物にされてしまいます。

その後マッカーディの死体は
人から人へと売り払われ続けて
見世物小屋や博物館、
蝋人形館などを転々とし、
1940年代にクイーンズパークにやってきた頃には
誰一人、それが元は人間だったのだと
知るものは居なくなってしまっていたのです。

こうしてクイーンズパークに落ち着いた
マッカーディは1976年に
その正体が判明するまで
実に30年もの間「お化け屋敷の人形」
役を勤め上げることになります。

世界広しと言えど
これほど奇妙な人生(?)を
送った人物は滅多にいないでしょうね…

9.M・ショー・ファンクラブ

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最後にご紹介するのは
最初に取り上げたお話と同じく
RedditのnoSleepコミュニティに投稿された、
1970年代のとある子供向けTV番組に関する
非常に不気味なお話です。

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9歳のころ、
私は人間の俳優と動物の着ぐるみが
教育的な劇を披露する
あるTV番組に夢中になっていました。

この番組は幼かった私を
本当に楽しませてくれたし、
何よりショーそのものに
罪があったわけではないので
この話の中ではその実名を出さず
便宜的に「ザ・Mショー」と呼ばせていただきます。

当時私は学校から帰った後に
姉のスカーレットと
お隣に住む親友のブランディの3人で
私の家のソファに集まって
一緒に「ザ・Mショー」を観るのが
お決まりの日課となっていました。

この頃、ショーは
完全に私たちの生活の一部であり、
私たちはCMの時間になると
自分たちの身の回りの重要な問題について
よく話し合ったことを覚えています。

さて、あれはとある夏の
暖かな金曜日のことでした。

私の姉のスカーレットが
ある少女雑誌の中に
Mショーについての懸賞問題を見つけたのです。

その懸賞の目玉は
一等賞の子供に親の分も含めた
ディズニーリゾートへの招待券が
進呈されるというものでしたが、
私たちの興味を引いたのはむしろ
正解を送った全員が貰えるという
Mショーのファンクラブの
特別な会員兼の方でした。

クイズの問題にはMショーの
かなり古いエピソードに関する質問もあり
なかなか難しいものでしたが
私たちはスカーレットが
そのほとんどに答えられたおかげで
ほぼ完璧な回答を得ることができました。

答えを書き終え、
回答の手紙を出してからしばらくは
私たち皆が毎日のように郵便受けに
張り付いていたことを覚えています。

しかし待てども返事は来ず、
その年最初の雪が降り始める頃には
全員が郵便受けのチェックを
止めてしまっていました。

また姉のスカーレットは
年長だったこともあってか
次第にMショーに対する興味が薄れていき
私もそれに合わせるように
番組を見ない日が増えていきました。

ただしブランディだけは例外で
彼女は私たちの家に来た時も
一人欠かさずず
Mショーをチェックしていたものでした。

やがて季節は春になり、
懸賞のことなどすっかり忘れていたある日、
母が私の名前が印刷された
小さな四角い手紙を手渡してこう言いました。

「Mショーファンクラブへようこそ」

手紙を開けると中には
歓迎メッセージ付きのリーフレットに加えて
「Mショーファンクラブ」「メンバー」の文字と
私の名前が書かれたIDカードが入っていました。

この手紙は私と同じ日に
ブランディの元にも届き、
最初のうちは私がこの手紙を受け取ったことに
嫉妬していた姉のスカーレットの元にも
2日後にやはり同じ封筒が届きました。

しかし何と言っても
この手紙が届いたことで
一番大喜びしたのはブランディでした。
彼女はあの時、
まさに幸福の中で光輝いているようでした。

それからというもの
私たちの家には毎週金曜日に
ショーについての写真やエピソード、
キャラクターの情報を掲載した
リーフレットが届くようになりました。

そんなことがあったので
私たちの「Mショー熱」は
それまで以上に燃え上がり、
会員証が届いてからというもの
再びすべてのエピソードを
欠かさず見るようになっていました。

そして6月中旬ごろ、
私たち全員の元に
新たな2つのリーフレットが届きました。

そのうち一つは
今まで通りのMショー情報が
載った通常のものでした。

しかし2番目には
とても興味深いイベントの
告知が書かれていたのです。

「ツアーバスが町にやってくる!
君も「エリート会員」になるチャンスだ!」。

しかもリーフレットには
バスが次の日曜日に私たちの町へ
やってくると書かれています。

私たちがすぐにこのことを両親に話し
ツアーの参加許可をもらって
狂喜乱舞したことは言うまでもありません。

その日から「Mショーツアー」が
やってくる日曜日を待つ時間は
私の人生で最も長い数日間でした。

私はMショーのキャラクターと
一緒に写真を撮り、
ツアー中に開催されるゲームで
スカーレットを打ち負かすことを
こっそり夢見ていました。

やがてツアー前日の土曜日がやってきて
スカーレットは彼女の友人の家へ
誕生日パーティの外泊に出かけることになりました。

この日は友達の家に泊まり、
次の日曜日の12時までには
宿泊先の家の親が
スカーレットを私の家まで送り届けて、
それからツアーの方へ参加する予定だったのです。

そしてツアー当日の日曜日、
12時30分ごろに
ブランディが私の家にやってきました。

彼女はかなり興奮気味で、
ツアーの全てを見逃さないために
一刻も早く家を出発したい様子でした。

ここで母は一度
スカーレットの友人の家に
電話をかけますが誰も出ず、
母は電話を切ると後に私たちに
「スカーレットはもうすぐ戻るから
あと少しだけ待ってね」と声をかけました。

しかし12時45分に
この日ツアーに同行する予定の
ブランディの母がやってきて
私たちに出発を促しました。

母はなおもスカーレットを
待つべきだと主張したものの
ブランディが早く行きたいと癇癪を起こし、
これを見かねたブランディのお母さんは
自分が先にブランディを連れて
ツアー会場へ向かうことを提案しました。

こうして私たち姉妹とブランディは
別々にツアーへ向かうことになったのです。

そしてこの瞬間、
私は何か自分が
とんでもない罪を犯したような
気持ちになりました。

私は思わず泣きだして
母に3人一緒に行きたいと懇願したものの
結局ブランディは一人で先に行ってしまいました。

その後スカーレットが
友達の母親の車で家に戻ってきたのは
予定を大きく超えた13時40分ごろ。

私はすっかり彼女に腹を立てていましたが
母から喧嘩したらツアーに
連れて行かないといわれていたので
私はその気持ちを必死に押し殺しました。

結局私達がツアーバスの当直場所に着いたのは
開催予定時刻より20分ほど遅れた頃でした。

車から降りて
駐車場を見渡してみると
そこにはツアーバスはおろか着ぐるみも
どこにも見当たりません。

そして代わりにそこで私が見たのは
心配そうな顔をした少数の保護者たちと
それ以外の談笑する多くの保護者たちが
駐車場の隅に固まっている姿でした。

そしてその一団に
ブランディの母親が心配そうな顔をして
立ち尽くしているのが見つかりました。

私たちが何があったのか尋ねると、
彼女は少し前まで確かに
「ザ・Mショー」の着ぐるみが
アーバスと一緒にここにいて
子供達にお菓子を配っていたこと、
そしてその着ぐるみの一人が
街の外に建てたセットの中で
簡単なショートフィルムを取るために
今から全員をバスで案内すると言って
まず子どもたちだけを先にバスに乗せて
出発したことを話しました。

ですがそれから一時間しても
バスは戻ってくることはなかったのです。

今思えば大人たちはもっと警戒すべき
だったのでしょうが、あのときは
ツアーの興奮した空気に流されて
冷静な判断ができなかったのでしょう。

そして子どもたちが
戻らないままやってきた翌週の月曜日、
テレビで「Mショー」が始まると
登場人物の一人がステージに上がり、
テレビの前の子供に親を呼んで
今から一緒に番組を見てもらうように呼びかけました。

その時私の母は
私とスカーレットと一緒に
既にテレビの前に座っていました。

そして次にそのキャラクターは
こう話し始めたのです
「「ザ・Mショー」にファンクラブは存在しません」
と。

その週、
ブランディの両親はたくさん泣きました。
でも私はまだブランディの無事を信じていました。
だって彼女はあれほど
ツアーを楽しみにしていたのだから、
きっと向こうでまだ帰りたくないと
駄々をこねてるだけなんだろうと。

その週の金曜日、
ブランディの家に小包が届き、
それは彼女の母親をさらに
泣かせることとなりました。

小包の中には
金文字で「エリート会員」と書かれた
ブランディの新しい会員証と
ひとつのビデオテープが入っていました。

テープを再生すると
そこにはツアー当日と同じドレスを着た
笑顔のブランディとその側に佇む
大きな動物の着ぐるみを着た
人物の姿が映っていました。

そしてブランディが話し始めます。

「こんにちはママ、
私ここが本当に気に入ったの」
「あなたがここに来れることを
心から願っているわ」

それから画面の中の彼女は
最後に大きく笑ってこう言いました
「ほかの子達が遅くなってごめんね。
でもきっとみんなもここが
心から気に入っていると思うわ。」

ビデオはそこで終わり、
彼女がその後
両親のもとに帰ってくることは
二度とありませんでした。

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