大人になるとゲームがつまらなく感じてしまう4つの原因

エッセイ

はじめに

12歳の頃、私の夢は、さっさと大人になって、
大好きなゲームを好きなだけプレイしまくることでした。

しかし、いざ自分が十分に大人と言える年齢になった今実感するのは、
昔の自分からは信じられないほど、ゲームをプレイすることに対する執着が弱くなっているということです。

昔のように、半日以上ぶっ通しで
コントローラーを握るよなことは滅多になくなったし、
なんならコンセントを差してゲーム機の電源を入れて、
ソフトを起動させるという
簡単なプロセスにすら面倒くささを感じてしまう。

気になる新作が出ても、
予約してでも早く買わなきゃという気持ちにはならず、
中古価格がほどほどに落ち着いたらにしようと思うことが多くなりました。

過ぎし日、ゲームは1日1時間の約束を守らない私に
業を煮やした母親が押し入れの奥深くに隠したゲーム機を
わざわざ探し出してまでゲームに執着していたあの情熱は一体どこへ行ってしまったのか…

もっとも、このことは私だけでなく
世間の多くの"ゲーム好き"にとって共通の感覚であるらしく、
「大人 ゲーム」というワードで検索入力すると
次のようなネガティブなサジェストがずらりと表示されます。

  • 大人 ゲーム 続かない
  • 大人 ゲーム 楽しめない
  • 大人 ゲーム 疲れる
  • 大人 ゲーム しんどい

本日はこの由々しき(?)事態について、
現在の人格形成の3割くらいがゲームに依っていると自負している私が
自分なりにいくつかこれが原因ではないかという推測を述べてみたいと思います。

原因1 単純にゲームをプレイする時間がない

大人になるとゲームがつまらなく感じる原因について、
一般的によく言われるのが
「大人は子供に比べて自由な時間がないのでそもそもゲームを楽しむ余裕がない」という理由です。

勤め人でも自営業でも、大人になれば
仕事のために人生の多くの時間を割かねばならなくなりますし、
それに加え、人によっては残された僅かなプライベートの時間も
資格取得のための勉強や副業、家事育児など
将来の為の様々なタスクに分配されていきます。

そうなると、実生活上の利益に繋がらない
ゲームプレイに対する優先度が低くなるのは当然のことであり、
それにも関わらずゲームに多くの時間を費やしてしまうと、
場合によっては後になって
「この時間を〇〇に充てていれば…」という
後悔や虚しさを抱えてしまうことになり、
結果ゲームを心から楽しめないという事になるわけです。

実際私も副業(このブログも含む)や将来への勉強は常に行っているので、
うっかりゲームに長い時間を費やした後には
「この時間でブログ記事1本かけてたな…」とか
「あの技術の勉強が出来てたな…」などと後悔してしまう事があります。

もっともこれは見方を変えれば、
自分で自分の時間の使い方に責任を持てるようになった、
物事の優先順位を正しく考えられるようになったということでもあり
客観的に見れば人間的成長の証でもあると思うので、
私的にはそこまで悲観する事でもないかとは思います。

また、生きていくうえでなんでも損得で考えていては
息苦しい生き方しかできなくなるので、
時には損得抜きに目の前のことを純粋に楽しむ姿勢を持つことも
心を豊かにするうえで大切な事だと思います。

原因2 感性の劣化

人間の脳の部位の中でも、
感情をつかさどる前頭野は最も早く、
人によっては40代から委縮が始まるそうです。

40代は脳・前頭葉の委縮に注意!後悔しない老後を過ごすための年代別傾向と対策 講談社 今日のおすすめ
和田秀樹流老年医学の総決算。40代は脳・前頭葉の萎縮、50代は身体よりも精神の健康に注意。どの年代で何が起きるのかを知っておけば、怖くない。

じつはこうした「きれいな」脳の状態を、特に努力もせずに維持できるのは30代が限界です。後述するように萎縮の進行度合いにはかなりの個人差はあるものの、早ければ40歳を過ぎた頃から頭蓋骨と脳のあいだにちょっとずつ隙間ができはじめ、その隙間は年をとればとるほど大きくなっていくものなのです。
前頭葉の萎縮が肉眼で確認できるほど進むと、30代までのその人とくらべて、意欲とか創造性といった能力が明らかに乏しくなってきます。
そして50代や60代に入り、さらに本格的に前頭葉機能が落ちてくると、今度は感情を抑制する力も衰えてきますから、人によっては些細なことでカッとなって部下や家族を罵倒してしまうことが増えるでしょう。

たとえ委縮までいかなくとも
このように人間の感性や感情は時とともに劣化するものであり、
そのことがゲームに対する興味や感動の減少にも
繋がっているのではないかと思いました。

話によると、こうした脳の劣化を予防するためには
映画を観たり、新しいことに挑戦したりして
感動する機会を自ら作ることが大事だそうですので、
私含め自覚のある方は、危機意識を持って
新しいことに挑戦するマインドを持つことを大切にした方が良さそうですね。

原因3 遊び手だけでなく作り手の目線からも考えてしまうようになった

ゲームが所詮作り物であることは
大人も子供も当然承知の事ではあるのですが、
大人はなまじ社会経験がある分、子供よりも
作り手の意図や都合の方に意識が向いてしまうために
ゲームをプレイしていて「冷めて」しまうきっかけが比較的多いように思います。

例えば、序盤はすごい複雑な作りのステージだったのが
後半はスカスカだったり一本道だったりすると
「納期厳しかったんだろうなぁ…」なんていう
身もふたもない感想が浮かんできてしまったり、
子供のころは大して気にならなかったゲーム的な「お約束※」がどうしても気になってしまったり…
(※不自然な障害物で進めるエリアが限定されているとか、強制負けイベントとか)

ただ、中にはこのことを承知した上で、
限界まで作り手の存在を匂わせない工夫をしているゲーム(ブラボとか)や
作り物であること自体をギミックに昇華させているゲーム(Undertaleとか)もあったりするので
今後のゲームの進化と多様化次第では
この点は十分に乗り越えられうるのではないかとも感じています。

原因4 ゲームの話題を共有できる相手が居なくなった

このことを認めるのは哀しすぎるので
出来ればスルーしたかったのですが
正直一番大きな原因だと思うのでその気持ちを抑えて書きました(泣)

かつての自分が、なぜあれほどゲームに熱中できていたのかを
改めて考えてみると、やはりそこには
同じゲームをプレイして、攻略法の話をしたり
どちらが先にクリアできるかを競える友人の存在が
何よりも大きかったように思うんですよね。

特に自分の場合、新しい友人を作るのが苦手な方だったので、
子供のころはゲームのおかげで周囲との繋がりが保てていたという面もありました。

しかしながら、成長するにつれ皆自然とゲームの話題をしなくなります。

また、進学や転勤によって
疎遠になったゲーム仲間もいました。

そうなると自然と一人向けゲームを
黙々とプレイすることが多くなるのですが、
そうなると競争心や仲間意識といったインセンティブが働かず、
貴重な時間を費やすための動機としてはどうしても弱くなってしまいます。

一方、現代ではオンラインゲームやソーシャルゲームを通じて
比較的手軽に新しいゲーム仲間を得る手段もなくはないのですが、
ネットゲームの場合、オンライン上のコミュニケーションというハードルがある事、
ソーシャルゲームの場合、プレイヤーにゲーム及び課金行為への
依存を起こさせることを前提としたビジネスモデルである事から
手を出しかねる人も少なくないと思われますし、
そもそもこれらのゲームは同じゲームでも
今回俎上に上げているタイプのゲーム※とは根本的に「楽しさ」の方向性が異なっているので
代替手段にはなりえないと私は考えています。
(※私たちが子供の頃に熱中していたようなゲームの事です。)

それでもゲームが好き

ここまで、ゲームに対してややネガティブな
意見が続いてしまいましたが、
私としてはそれでもやはりゲームが好きですし、
今後のゲームの発展にも大きな期待を抱いています。

その上で、次はこれまでとは逆に、
大人になったからこそ分かった
ゲームの良さについて語ってみたいと思います。

気が合う人と遊ぶゲームは依然変わらず楽しい

原因4に対応する点になりますが、
気が合う相手と一緒にプレイするゲームは
今でも昔と変わらず楽しいものです。

特に、対戦ゲームを
実力が近い相手とプレイすると
脳内麻薬がドバドバ出て
最高にハイな気分で何時間でも熱中できます(笑)。

また、1人用ゲームなんかでも、
例えばSEKIROの強いボスを複数人が交代でプレイして
誰が一番早くそのボスに勝てるかを
競争したりする遊びをやったことがあったのですが、
これが存外に盛り上がり、最初は軽い気持ちで始めたのが
気づいたら3時間ぐらいぶっ続けで画面の前に齧り付いていたこともありました。

そう思うとやっぱり私はゲームに対して
特にコミュニケーションツールとしての役割を強く求めていたんだなと思います。

ストーリーをより深く味わえるようになった

先に大人になって、感動する力が弱くなったという話をしましたが、
一方でストーリーやキャラクターに関しては
年齢を重ねたことでより深い楽しみ方が出来るようになった一面もあると思います。

例えばRPGなんかだと、子供のころは
自分と主人公を完全に同じ位置において、
主人公の見方は善、主人公の敵は悪といった具合に
良くも悪くもかなり単純な視点でプレイしていたのが、
今ではもう少し俯瞰的な視点でとらえることが多くなりました。

物語の時代背景や政治的背景、
各キャラクターの立場など
操作しているキャラクター以外の立場についても
自然と考えながらプレイするようになったんですよね。

これはきっと、これまでにいろいろな人に会ったり
いろいろな経験を積んだことで、
他人に共感する能力が子供時代よりも
いくらか成長したことに依るのではないかと思いますし、
そういう意味で大人になったからこそ味わえるようになった面白さだと思います。

ちなみに、わたしがプレイ中に
このことを強く実感したゲームが2つあり、
それはPS4のウィッチャー3と
同じくPS4のデトロイト ビカムヒューマンというゲームです。

ウィッチャー3は海外の小説をもとにした
ファンタジー世界のアクションRPGなのですが、
プレイヤーの選択がキャラクターの生死や
時には国の命運すら分けることがあり、
機械的なゲームの中に力強い生命の流れを感じる作品でした。

一方のデトロイト ビカムヒューマンは
近未来を舞台にしたアンドロイドが主人公のゲームなのですが
こちらもプレイヤーの選択が重要となるゲームで、
ウィッチャー3以上の複雑な分岐と
それに伴う臨場感が圧倒的な作品です。

こうしたゲームの面白さは、ゲームがプレイヤーに
「あなたならどうする?」という問いを投げかけ、
それを各々が他ならぬ自分の意思で判断するところにあり、
その辺りの妙味は、一定の人生経験を積んだ大人だからこそ
より強く味わうことが出来る性質のものだと私は思います。
(そもそもどっちもCEROレーティングZだから子供は遊んじゃダメという点はさておき)

さいごに

こういったことに思いを巡らせていくと、
最後には自分がゲームに何を求めていたのか
という点に行きつきます。

私の場合は、コミュニケーションツールとしての側面に
特に重点を置いていたわけですが、これが人によっては
自分の腕を磨き上げ対人戦に勝利するだったり、
タイムアタックを極める事だったりするかもしれません。

そして恐らく、その「何を求めるか」という点によって
ゲームに対する熱意の継続性も異なってくるのだと思います。

なので、もし大人になってゲームが楽しくなくなったと感じ、
そのことに悩んでいる方が居たら、今一度
自分がゲームに何を求めていたのかを整理してみると
そのモヤモヤが少しは晴れるかもしれませんね。

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